今日も気ままに語っていく。

前回からしれっと始めているが、本コーナーは「である」調である。
他の正規のブログカテゴリとは一線を画すのである。

ところで、「である」調の一人称は「吾輩(わがはい)」がしっくりくる気がする。

きっと『吾輩は猫である』のイメージが強いのであろう。
だがしかし、このコーナーでは、一人称は「私」を用いる。

さすがに私は、自分の事を「吾輩(わがはい)」と言ったことは、今までの38年の人生で一度もない。
「吾輩(わがはい)」はあまりに気持ち悪い。

第一、自慢じゃないが私は漱石を読んだことがない。
読んだこともないのに「漱石」などと文学通ぶる所に、本コーナーの自由さがあるのである。
これが永井である。

でもね、他の文学は読んだよ。
ドストエフスキーは昔そこそこ読んた。

処女作の『虐げられた人々』、他にも『貧しき人々』とか、有名な『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』も読んだ。
昔だけどね。

トルストイも、有名な『戦争と平和』は全部読んだよ。
『アンナ・カレーニナ』も死ぬまでには読みたいと思ってる。

おっと、うっかりすると「である」調でなくなってしまうのである。
「である」調も慣れていないので、注意が必要である。

「である」調と言えば、ピアノ教室ホームページの生徒募集用ブログでは「である」調は使わないほうがいい、みたいな事を前に何かの動画で話したことがある。

まぁ集客用のブログで「である」と書く人はいないだろうけどね(笑)
いたらいたで、その人はなかなかの珍獣だから、一部にファンは出てくるかもしれないけど。

「使うな」と言って自分が使っているのである。
「自己矛盾は成長の伸びしろである」と、勝手に解釈することにしよう(汗)

こういうノリが本コーナーである。
という事で(どういう事?)、本コーナーでは「である」調を使っていくのである。